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Story 02

離婚し放浪する中で自分に向き合う

​穏やかな毎日と
揺らぎを抱え続けていた自分

心の深いところで、『わたしは誰?』という感覚と揺らぎを抱えながら子ども時代を過ごし、やがて成人した私は、当時、NHKでやっていたテレビ番組「大草原の小さな家」の家族のような穏やかな家庭に憧れて、24歳で結婚しました。

父と正反対の穏やかな男性と結婚し、切迫流産、切迫早産を経て2人の子どもも授かり、専業主婦となりました。
子どもの頃の夢は、学校の先生になること、そして、独身時代は英語教室の講師をしていた私にとって、子どもたちの存在は本当に喜びでした。また、父とは正反対の穏やかな夫との関係には、良くも悪くも一定の距離があり、結婚してからの日々は、実家にいる頃に比べると一見、穏やかな毎日でした。

そんな目に見える部分の“幸せ”とは裏腹に、子ども時代からのあの感覚が不意に顔を覗かせて、心の奥底の方では、揺らぎを抱えていました。

やがて、下の子どもの病気を機に、その揺らぎや、ある距離からは近づくことが出来なかった夫婦関係の問題が、さまざまな形で表に出てきた結果、私は離婚をすることになりました。

専業主婦時代.jpg

​自分に向き合う日々

紅葉のベンチ

離婚は私が望んだものでしたが、不本意な形で突然、子どもたちと離れ離れに暮らすことになってしまい、足元にあった地面がすべて崩れ去ったような精神状態に陥りました。

また、離婚のプロセスにおいて、心配ばかりかけてしまった両親との関係性もギクシャクし、結果として、帰る場所も、やがてはお金もなくなり、行く当てもなく放浪するような日々を過ごすことになりました。

ファミレスやコインランドリー、デパートや公園、駅のベンチ、時には多摩川の川辺で、何時間もただただ時を過ごす日々。

時に、もう自分のスイッチを切りたい、という思いが湧くこともありました。

そんな毎日の中で日課にしていたのが、高幡不動尊の護摩修行に参加すること。当時の私にとって、自分を保つための時間であり、また、漠然とした問いへの答えを探すための時間だったように思います。

そして、高幡不動尊では、何度か、見ず知らずの人に助けられました。

ご一緒していた護摩修行が終わった後、「生きなさい」と励ましてくれたおばあさん。

夜の境内のベンチで、さりげなく隣に座り、ご自分の身の上話をして、気遣ってくれた女性。

「お金はいいからとにかく食べな」とベンチで座っていた私のところまで来て、焼き芋を渡してくれた焼き芋売りのおじさん。

そういう人たちの心遣いが、崩れ落ちそうな私にとって、どれだけ助けになったかわかりません。

そして、そんな放浪の日々は、所持金が底をつき、胃痙攣を起こして入院するという結果で幕を閉じることになりました。病院の支払いは、結局、心配と迷惑をかけ続けた親にお願いせざるを得ませんでした。

​何もない
​でも、大丈夫だ

退院したその日、駅のホームで、本当に何も無くなった自分を実感しました。

子どもたちとも別れ、帰る家もなく、お金もなく、何もない自分でした。

ただ、その時、何かに守られているような、とても満たされている感覚になったのです。

何もない、でも大丈夫だと。

周りの風景も、雨上がりのように透明感に溢れ、色鮮やかに輝いて見え、不思議としあわせな気持ちでした。わたしはわたしだ。自分の奥底に、微かな、でも確かなものがあるのを感じました。それは、『本来のわたし』がようやく生まれた瞬間だったのだと思います。

それからも、三歩進んで二歩下がるような紆余曲折がありながら、私の中の『本来のわたし』は、少しずつ輪郭をはっきりとさせながら育っていったように思います。ただ、人生のどこを切り取っても、これがわたしの人生だと言えるような、わたしを生きている実感に満ちる人生に至るには、まだまだ長い道のりがありました。

トマティーヨ工場

​Key Message 02

本来のその人が
生まれる瞬間
​その姿はとても美しい


 

コーチングやワークショップを通して、本来のその人が生まれた!と思う瞬間に、何度か立ち会ってきました。

その姿はとても美しく、いつも感動します。

自分の内なる本当の声を聴くこと、そして、その声に従って生きることは、とても勇気がいることです。時には、周りとの関係性に波風が立つこと、平穏な日々が崩れることがあります。それまでの自分の限界を超えなければならないこともあります。本来の自分の可能性や大きさを知ることを、一番恐れているのは自分自身である、と言われるのはそれ故です。

また、本来の自分を生きることは、わがままであり、周りを蔑ろにすることだと思われることもあります。でも、ジョウロに水が入っていなければ、花に水をあげることはできないのです。私自身、いいお母さんになりたいと願いながら、空回りすることが多々ありました。

わたしを生きている実感に満ちた人生を生きること、それは、その人自身が幸せに生きることだけではなく、その人が本来もっている輝きで、まずは自分の身近な人たちを包み、照らし、そして、その輝きの広がりが、やがて世の中をより良い方向に変えていくことにも繋がっていくと思うのです。

男性社会の中で男性のように頑張る

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